大分魅力体験ツアー
大分学研究会では10月28日の日曜日第2回目となる おおいた魅力体験ツアーを実施しました
テーマは『恩讐の彼方に』の「青の洞門」と蘭学のメッカ中津を巡る旅です
午前8時半貸切バスで大分駅前を出発 途中別府で辻野先生など乗り込みいざ 中津へ出発
バスの道中では辻野先生が黒田孝高(官兵衛・如水)の戦国武将として最強だった話
豊臣秀吉が最も恐れた武将で中津の町を作った大名でありその息子黒田長政は福岡城主となる話
などいろいろな歴史の話をしてくださいました 博多という町の名前が福岡になった理由ですが
黒田家はもともと備前(岡山県)の福岡村に住んでいたので、博多に城を作ったとき福岡城と
名をつけたそうです それで武士が住む地区が福岡で商人の町が博多になったんです
2014年度のNHK連続大河ドラマは豊前(大分県)の中津で初めて本格的な戦国大名になった
黒田官兵衛を主人公とする軍師官兵衛に決まりました
これは 中津の松本達雄会員がもう早くからNHKや関係者に働きかけ運動してきた結果決まった事で
急に松本氏は忙しくなりは当日も行事があり参加できません 中津駅前のバス車内で
10分ほど豊前国中津黒田武士顕彰会の今までの活動などを簡単にお話くださいました
車内でお話しする松本会員
次の訪問地は羅漢寺です 耶馬渓の入口にある名勝です バスが羅漢寺前に到着
階段をあがってリフト乗り場へ
羅漢寺の説明
リフト乗り場
崖に作られた寺 羅漢寺へ向かいます
五百羅漢とは
羅漢寺の五百羅漢パノラマ
羅漢寺本堂前で集合写真1
再び頂上までリフトで昇ります 展望台が頂上にあります 少し紅葉が始まっています
今日は少し遠方がもやっていて阿蘇山までは見えませんでした
羅漢寺山の展望台からパノラマ
下りのリフトからの耶馬渓の岩山の眺め
本耶馬渓支所では新そばまつりが開催中です
ここで好きなそばを各自注文します
中津の當所ご夫妻
今回もシティタクシーグループさんのバスをお借りしています
車窓から見えたこの夏の豪雨で欄干が流された日本一長い8連石橋 耶馬渓橋(別名 オランダ橋)
以前撮影していた耶馬渓橋
本耶馬渓支所での祭りパノラマ
食事が終わって青の洞門を歩きます
昔作られた最初の明り取りの窓
洞内にある禅海和尚の像
古い禅海が掘ったトンネル
青の洞門は菊池寛の小説 『恩讐の彼方に』で有名になりました
この広場には禅海の銅像があります 実は今年の夏の集中豪雨の氾濫で水はこの高さまで達し
流木にあたって銅像の両腕が流されていたのを最近発見 本日めでたく 両腕がつながったのでした
私たち一行が到着するちょっと前に「禅海像修復除幕式典」がこの前で開催されたようでした
この禅海の銅像前で集合写真2
青の洞門と山国川
せっかくの岩山が見えなければ耶馬渓らしくないのでいくらか木を伐採して風景が良くなっています
青の洞門前の広場パノラマ
青の洞門という青は 洞門が青いのではなくて ここの地名が青なんです
中津名物 いまでは全国に有名になった中津からあげをこの店で買いました
今度は黒田官兵衛が築いた中津城へ行きます
双葉山の化粧まわしがありました
磔(ハリツケ)になった鳥居強右衛門の掛け軸
中津藩は医者の多い町でした 解体新書を翻訳したのは実は杉田玄白ではなく中津の前野良沢でした
1万円札の肖像になった福沢諭吉も中津で蘭学など勉学に励んでいます
徳川家康は子供を授かった側室だけでも16人も 驚きですね
ちなみに 黒田官兵衛と明智光秀は側室をとらなかったそうです
この首取りの掛け軸すごい
天守閣からの眺め
中津城天守閣から眺める360度の世界←クリックして動くパノラマをご覧ください
中津城の隣にひっそりとした神社が
中津は医者・学者だけでなく多くの経済人など先哲を輩出しています
村上医家資料館へ行きます
ここで出迎えてくれたのは 中津で川嶌整形外科病院を開業していらっしゃる川嶌先生です
東京での学会の発表でしたが我々の為に急いで中津へ帰りわざわざお話ししてくださいました
人体解剖のお話などから話題豊富でしゃべりだしたら 何時間でもおしゃべりが続きそうな先生です
日本で最初の人骨図
そういえば 月に名を残した天文学者の麻田剛立も本業は医者でした
今度は大江医家資料館で
昔は天然痘に子供の3割がかかり そのうちの3割が死んだそうです そのため家の玄関に
病が移らないよう強そうな赤い鐘馗の絵を飾ったそうです
前野良沢・杉田玄白・中川淳庵らは1771年中津藩中屋敷の前野良沢の住まいでクルムスの
解剖書「ターヘル・アナトミア」の翻訳に着手しました
4年後に一応の翻訳ができ解体新書として刊行されました
解体新書にはタヘール・アナトミアを訳した前野良沢の名前が載っていません
多くの方が 解体新書は杉田玄白が書いたと思っていますが 実は杉田玄白はまったく
オランダ語を読めなかったのだそうです 完全に翻訳されたかわからないので出版したい杉田玄白に
前野良沢はまだ出版には早すぎると止めたんですが 自分の名前で出版し冨と名声を我が物に
したそうです それで教科書にも解体新書を書いたのは杉田玄白という名前が教えられているのです
この哀れな前野良沢の事は福沢諭吉も知っていたそうです 最近になり 川嶌先生が昔の書物を
解読しながら この事実を広めようと頑張っていらっしゃいます
飛び出る解剖図ですね
医は仁術(医は、人命を救う博愛の道である)と昔から言われますが そうではない
大江家の家訓では「医は仁ならざるの術 努めて仁をなさんと欲す」とあります
医者もたまには人の命を奪う事をしているという事だからでしょうか
安岐町出身の田原淳は中津の田原家の養子となり 心臓は電気で動いていることを突き止めた学者です
いまなら当然ノーベル医学賞を受賞できる方です
大江家の裏には薬草も栽培されています
麻酔に使われたしびれ薬をつくる草 日本の麻酔術は諸外国より50年も早くやっていたそうです
まだまだ川嶌先生のお話を聞きたかったのですが きりあげ 帰路へ
大分駅には6時20分頃到着し解散しました
2度目の大分の魅力を発見する旅も面白かったですね 次回は12月23日(天皇誕生日)です
今度はクリスマスイブ前日の12月23日に「豊後キリシタン・ベルトを往く」のテーマで
大分市から竹田市まで、キリシタンの史跡巡りを致します
中津市のパノラマページ←クリックしてご覧ください
テーマは『恩讐の彼方に』の「青の洞門」と蘭学のメッカ中津を巡る旅です
午前8時半貸切バスで大分駅前を出発 途中別府で辻野先生など乗り込みいざ 中津へ出発
バスの道中では辻野先生が黒田孝高(官兵衛・如水)の戦国武将として最強だった話
豊臣秀吉が最も恐れた武将で中津の町を作った大名でありその息子黒田長政は福岡城主となる話
などいろいろな歴史の話をしてくださいました 博多という町の名前が福岡になった理由ですが
黒田家はもともと備前(岡山県)の福岡村に住んでいたので、博多に城を作ったとき福岡城と
名をつけたそうです それで武士が住む地区が福岡で商人の町が博多になったんです

2014年度のNHK連続大河ドラマは豊前(大分県)の中津で初めて本格的な戦国大名になった
黒田官兵衛を主人公とする軍師官兵衛に決まりました

これは 中津の松本達雄会員がもう早くからNHKや関係者に働きかけ運動してきた結果決まった事で
急に松本氏は忙しくなりは当日も行事があり参加できません 中津駅前のバス車内で
10分ほど豊前国中津黒田武士顕彰会の今までの活動などを簡単にお話くださいました
車内でお話しする松本会員

次の訪問地は羅漢寺です 耶馬渓の入口にある名勝です バスが羅漢寺前に到着

階段をあがってリフト乗り場へ

羅漢寺の説明

リフト乗り場



崖に作られた寺 羅漢寺へ向かいます


五百羅漢とは

羅漢寺の五百羅漢パノラマ

羅漢寺本堂前で集合写真1



再び頂上までリフトで昇ります 展望台が頂上にあります 少し紅葉が始まっています



今日は少し遠方がもやっていて阿蘇山までは見えませんでした

羅漢寺山の展望台からパノラマ

下りのリフトからの耶馬渓の岩山の眺め

本耶馬渓支所では新そばまつりが開催中です

ここで好きなそばを各自注文します

中津の當所ご夫妻

今回もシティタクシーグループさんのバスをお借りしています

車窓から見えたこの夏の豪雨で欄干が流された日本一長い8連石橋 耶馬渓橋(別名 オランダ橋)

以前撮影していた耶馬渓橋

本耶馬渓支所での祭りパノラマ

食事が終わって青の洞門を歩きます

昔作られた最初の明り取りの窓

洞内にある禅海和尚の像

古い禅海が掘ったトンネル


青の洞門は菊池寛の小説 『恩讐の彼方に』で有名になりました

この広場には禅海の銅像があります 実は今年の夏の集中豪雨の氾濫で水はこの高さまで達し
流木にあたって銅像の両腕が流されていたのを最近発見 本日めでたく 両腕がつながったのでした
私たち一行が到着するちょっと前に「禅海像修復除幕式典」がこの前で開催されたようでした

この禅海の銅像前で集合写真2

青の洞門と山国川

せっかくの岩山が見えなければ耶馬渓らしくないのでいくらか木を伐採して風景が良くなっています

青の洞門前の広場パノラマ

青の洞門という青は 洞門が青いのではなくて ここの地名が青なんです

中津名物 いまでは全国に有名になった中津からあげをこの店で買いました

今度は黒田官兵衛が築いた中津城へ行きます


双葉山の化粧まわしがありました


磔(ハリツケ)になった鳥居強右衛門の掛け軸

中津藩は医者の多い町でした 解体新書を翻訳したのは実は杉田玄白ではなく中津の前野良沢でした
1万円札の肖像になった福沢諭吉も中津で蘭学など勉学に励んでいます


徳川家康は子供を授かった側室だけでも16人も 驚きですね
ちなみに 黒田官兵衛と明智光秀は側室をとらなかったそうです

この首取りの掛け軸すごい

天守閣からの眺め

中津城天守閣から眺める360度の世界←クリックして動くパノラマをご覧ください

中津城の隣にひっそりとした神社が


中津は医者・学者だけでなく多くの経済人など先哲を輩出しています





村上医家資料館へ行きます

ここで出迎えてくれたのは 中津で川嶌整形外科病院を開業していらっしゃる川嶌先生です
東京での学会の発表でしたが我々の為に急いで中津へ帰りわざわざお話ししてくださいました

人体解剖のお話などから話題豊富でしゃべりだしたら 何時間でもおしゃべりが続きそうな先生です


日本で最初の人骨図

そういえば 月に名を残した天文学者の麻田剛立も本業は医者でした

今度は大江医家資料館で

昔は天然痘に子供の3割がかかり そのうちの3割が死んだそうです そのため家の玄関に
病が移らないよう強そうな赤い鐘馗の絵を飾ったそうです

前野良沢・杉田玄白・中川淳庵らは1771年中津藩中屋敷の前野良沢の住まいでクルムスの
解剖書「ターヘル・アナトミア」の翻訳に着手しました

4年後に一応の翻訳ができ解体新書として刊行されました

解体新書にはタヘール・アナトミアを訳した前野良沢の名前が載っていません
多くの方が 解体新書は杉田玄白が書いたと思っていますが 実は杉田玄白はまったく
オランダ語を読めなかったのだそうです 完全に翻訳されたかわからないので出版したい杉田玄白に
前野良沢はまだ出版には早すぎると止めたんですが 自分の名前で出版し冨と名声を我が物に
したそうです それで教科書にも解体新書を書いたのは杉田玄白という名前が教えられているのです
この哀れな前野良沢の事は福沢諭吉も知っていたそうです 最近になり 川嶌先生が昔の書物を
解読しながら この事実を広めようと頑張っていらっしゃいます



飛び出る解剖図ですね

医は仁術(医は、人命を救う博愛の道である)と昔から言われますが そうではない
大江家の家訓では「医は仁ならざるの術 努めて仁をなさんと欲す」とあります
医者もたまには人の命を奪う事をしているという事だからでしょうか

安岐町出身の田原淳は中津の田原家の養子となり 心臓は電気で動いていることを突き止めた学者です
いまなら当然ノーベル医学賞を受賞できる方です

大江家の裏には薬草も栽培されています

麻酔に使われたしびれ薬をつくる草 日本の麻酔術は諸外国より50年も早くやっていたそうです

まだまだ川嶌先生のお話を聞きたかったのですが きりあげ 帰路へ
大分駅には6時20分頃到着し解散しました

2度目の大分の魅力を発見する旅も面白かったですね 次回は12月23日(天皇誕生日)です
今度はクリスマスイブ前日の12月23日に「豊後キリシタン・ベルトを往く」のテーマで
大分市から竹田市まで、キリシタンの史跡巡りを致します
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