豊後高田の魅力を探る
大分学研究会 第14回のツアーは10月26日実施されました
今回の旅は 悲劇の武将吉弘統幸から昭和の町まで-豊後高田の魅力を探る- でした
午前8時半大分駅北口を出発し 別府からの方も乗っていざ豊後高田へ

途中車内で昨年放送された 故辻野先生が語る武将吉弘統幸のビデオ鑑賞しながら
今回同行説明くださったのは大畑雅英会員です
大畑先生は高校の教師でもあった方で豊後高田の栄法寺のご住職で歴史に詳しい先生です
平安時代からの田んぼが今も残る田染の荘園を進みます
バスから眺める屋山(標高543m)です
最初に訪れたのは 屋山中腹にある長安寺です
屋山の頂上に城を築いていたのが吉弘統幸だったのです 黒田官兵衛が中津城主となった時代です
吉弘統幸は主君の大友義統に東軍に付くよう勧めますが大友義統は聞き入れず
別府石垣原の決戦で黒田軍の井上九郎右衛門との一騎打ちで破れます
黒田家譜には「吉弘がごとき真の義士は、古今たぐいすくなき事なり」と絶賛しており
吉弘統幸を祀る神社は石垣原にあります
長安寺に到着
大畑先生のお話を聞きます
眺めのいい場所へ
石の仁王像があります
紅葉時期もいいでしょうね
長安寺のシャクナゲパノラマ←クリックしてご覧ください
長安寺ご住職に重要文化財の収蔵庫の中を見せてもらいます
1130年作成された古い木像の太郎天像など
銅に法華経を刻んだ板
裏の境内には宝篋印塔などがありました
屋山の頂上までは歩いて30分あまりだそうです
吉弘統幸の首を洗ったという言い伝えが残る吉名川
吉弘統幸の墓がある金宗院跡の前です
ここで待っていてくれたのが豊後高田の市長である永松博文市長です
一緒に案内したいのだがイベントが多く市長は豊後高田を楽しんでとここでご挨拶して他へ移動されました
ここで市長を囲んで記念写真 後方に屋山が
金宗院跡の前
羅漢さんもここでは悲しそうに見えます
立派な国東塔
吉弘統幸の墓
実はもっとたくさんの墓や塔があったのですが墓ドロボウに盗られて減ってるのだそうです何と罰当りな
こんどは天念寺へ
修験の場として有名な峰歩きの山が天念寺の裏山の崖です
渡るのがとても恐ろしそうな無明橋が見えます
この辺は岩山が多いところです
ここで記念写真
天念寺耶馬パノラマ ←クリックしてご覧ください
鬼会の里に入ります
国指定の12世紀前半頃の作と伝えられる木像阿弥陀如来像があります
天念寺は崖の下にあります
ここで開催される修正鬼会は1000年以上も前から続いており国の重要無形民俗文化財に指定されています
大たいまつです
川中不動です
午後1時料亭梅の屋さんで昼食です
カニは滅多にたべないので私は食べ方が下手くそですが とても美味しかった
新波止漁港から漁船とクルーザー船3隻に分乗します 私はこの漁船へ
救命胴着を着けて
長崎鼻を海から眺めるのは今回が初めてです
船長さんの左手のコントローラで操船できるのだそうです
長崎鼻です
長崎鼻の先端です
船は酔うからと乗らなかった方は岬先端で手を振っています
船からのパノラマ1←クリックしてご覧ください
船からのパノラマ2←クリックしてご覧ください
こちらは島です 馬ノ瀬です
引き潮なので陸地と今はつながっています干満の差は3mあるそうです
姫島が向こうに見えます
これが岬ガザミ
豊後高田市の街へ 出迎えてくれたのは昭和の街の仕掛け人金谷俊樹会員です
豊後高田も他の地方都市でも昭和30年台にピークを迎え昭和40年台には衰退の道をたどります
そんな時商工会事務局の金谷さんの豊後高田を愛する熱血が商店主の考えを変えさせ
今まであった外装を取り払わせ 昔の家の姿のままを残して「昭和の町」と名付けて一躍有名にしたのでした
古くさいけど懐かしい町を歩きます
昔行商で使っていた車がここのお宝展示
7代目店主の持っている足袋は4代目のおかみさん5代目のおかみさんと2代にわたって
履かれた足袋で 大きな店でありながら 質素な生活をしながら商売を続けてこられたのがもう一つの宝
古くから使っていた道具がお宝の金物屋さん
昔みな使っていた肥後の守もいまでも店の大事な商品です
古い電気屋さん
昭和の三種の神器がウィンドウに
小さな手芸店
今でも昔の足踏み式ミシンが一番と愛用されています
昔のミシンは何でも縫えるそれは自動車メーカーが作っていたから
今のミシンは電気屋が作るだからストレッチとか厚い布地とか皮は縫えないが
昔のミシンは針と糸さえ変えれば何でも縫えるのだそうです そうです昔の方がモノづくりは良かった
お茶屋さんで
お茶の入れ方はぬるいお湯で入れるのが一番と
昔の蓄音機です
こちらのお肉屋さんでは
やっぱり手で回して肉を切るのが一番だそうです
古き良き時代 昭和のあの時代を思い出す旅でした
豊後高田市のパノラマページ ←クリック
今回の旅は 悲劇の武将吉弘統幸から昭和の町まで-豊後高田の魅力を探る- でした
午前8時半大分駅北口を出発し 別府からの方も乗っていざ豊後高田へ

途中車内で昨年放送された 故辻野先生が語る武将吉弘統幸のビデオ鑑賞しながら

今回同行説明くださったのは大畑雅英会員です
大畑先生は高校の教師でもあった方で豊後高田の栄法寺のご住職で歴史に詳しい先生です

平安時代からの田んぼが今も残る田染の荘園を進みます

バスから眺める屋山(標高543m)です

最初に訪れたのは 屋山中腹にある長安寺です
屋山の頂上に城を築いていたのが吉弘統幸だったのです 黒田官兵衛が中津城主となった時代です
吉弘統幸は主君の大友義統に東軍に付くよう勧めますが大友義統は聞き入れず
別府石垣原の決戦で黒田軍の井上九郎右衛門との一騎打ちで破れます
黒田家譜には「吉弘がごとき真の義士は、古今たぐいすくなき事なり」と絶賛しており
吉弘統幸を祀る神社は石垣原にあります
長安寺に到着


大畑先生のお話を聞きます


眺めのいい場所へ


石の仁王像があります



紅葉時期もいいでしょうね

長安寺のシャクナゲパノラマ←クリックしてご覧ください

長安寺ご住職に重要文化財の収蔵庫の中を見せてもらいます

1130年作成された古い木像の太郎天像など

銅に法華経を刻んだ板


裏の境内には宝篋印塔などがありました

屋山の頂上までは歩いて30分あまりだそうです

吉弘統幸の首を洗ったという言い伝えが残る吉名川

吉弘統幸の墓がある金宗院跡の前です

ここで待っていてくれたのが豊後高田の市長である永松博文市長です

一緒に案内したいのだがイベントが多く市長は豊後高田を楽しんでとここでご挨拶して他へ移動されました

ここで市長を囲んで記念写真 後方に屋山が


金宗院跡の前



羅漢さんもここでは悲しそうに見えます




立派な国東塔


吉弘統幸の墓




実はもっとたくさんの墓や塔があったのですが墓ドロボウに盗られて減ってるのだそうです何と罰当りな

こんどは天念寺へ

修験の場として有名な峰歩きの山が天念寺の裏山の崖です
渡るのがとても恐ろしそうな無明橋が見えます

この辺は岩山が多いところです

ここで記念写真

天念寺耶馬パノラマ ←クリックしてご覧ください


鬼会の里に入ります

国指定の12世紀前半頃の作と伝えられる木像阿弥陀如来像があります

天念寺は崖の下にあります


ここで開催される修正鬼会は1000年以上も前から続いており国の重要無形民俗文化財に指定されています

大たいまつです



川中不動です

午後1時料亭梅の屋さんで昼食です



カニは滅多にたべないので私は食べ方が下手くそですが とても美味しかった



新波止漁港から漁船とクルーザー船3隻に分乗します 私はこの漁船へ

救命胴着を着けて



長崎鼻を海から眺めるのは今回が初めてです

船長さんの左手のコントローラで操船できるのだそうです

長崎鼻です



長崎鼻の先端です


船は酔うからと乗らなかった方は岬先端で手を振っています


船からのパノラマ1←クリックしてご覧ください

船からのパノラマ2←クリックしてご覧ください



こちらは島です 馬ノ瀬です

引き潮なので陸地と今はつながっています干満の差は3mあるそうです

姫島が向こうに見えます



これが岬ガザミ


豊後高田市の街へ 出迎えてくれたのは昭和の街の仕掛け人金谷俊樹会員です

豊後高田も他の地方都市でも昭和30年台にピークを迎え昭和40年台には衰退の道をたどります
そんな時商工会事務局の金谷さんの豊後高田を愛する熱血が商店主の考えを変えさせ
今まであった外装を取り払わせ 昔の家の姿のままを残して「昭和の町」と名付けて一躍有名にしたのでした

古くさいけど懐かしい町を歩きます


昔行商で使っていた車がここのお宝展示

7代目店主の持っている足袋は4代目のおかみさん5代目のおかみさんと2代にわたって
履かれた足袋で 大きな店でありながら 質素な生活をしながら商売を続けてこられたのがもう一つの宝


古くから使っていた道具がお宝の金物屋さん

昔みな使っていた肥後の守もいまでも店の大事な商品です

古い電気屋さん

昭和の三種の神器がウィンドウに

小さな手芸店

今でも昔の足踏み式ミシンが一番と愛用されています

昔のミシンは何でも縫えるそれは自動車メーカーが作っていたから
今のミシンは電気屋が作るだからストレッチとか厚い布地とか皮は縫えないが
昔のミシンは針と糸さえ変えれば何でも縫えるのだそうです そうです昔の方がモノづくりは良かった

お茶屋さんで

お茶の入れ方はぬるいお湯で入れるのが一番と

昔の蓄音機です

こちらのお肉屋さんでは

やっぱり手で回して肉を切るのが一番だそうです

古き良き時代 昭和のあの時代を思い出す旅でした
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