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大友宗麟の足跡を辿る

8月26日 一般社団法人大分学研究会では おおいた魅力体験ツアー第一回を実施しました
大友宗麟の足跡を辿る旅 ということで同行してくださる講師は辻野会長です。
参加者会員は20名になりました 全部で23名の出席です
今日のこの大友宗麟についてのブログは力を入れて投稿します 写真が多く長いですが最後までご覧ください

朝7時35分発の列車に乗るため佐伯駅へ 駅前の駐車場に車を預けます 朝佐伯市は雨でした
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大分まで片道JRだと2050円です 始発のソニック号に乗ります
帰りは津久見駅から乗ればいいかなと今回JRを利用しました
マイカーがあるので最近JRに乗りませんが6月には石垣島へ凧揚げに行ったのでそのとき福岡まで
行きましたから今年2度目のJRの列車です
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新しくなった大分駅に始めて降り立ちました
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大分駅前からのパノラマ写真
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集合場所は大分駅前の大友宗麟像前です
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これが大友宗麟公です
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バスを出してくれたのは会員のシティタクシーグループさんです
すでにほとんどの方が乗車していました
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事務局の楢本さんの挨拶
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まず一番先に向かったのは 大分城址公園にある元木下郁県知事と元大分市長上田保氏の銅像前
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辻野先生のお話では 県知事と県庁所在地の市長が仲良く並んで銅像になっているのは大分県だけだそうです
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実際にお二人で仲良く大分県の発展に尽くされた政治家でした またお二人とも
生まれた年(明治27年)と亡くなられた年(昭和55年)がいっしょだった事初めて知りました
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大分県庁前に ある西洋音楽発祥の地の石碑と銅像
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大友宗麟は1551年当時山口にいた聖フランシスコ・ザビエルに対して招請状を出して最高の儀礼で
ザビエルを迎えたのでした
晩年大友宗麟が洗礼名を「ドン・フランシスコ」にしたのはこのときの深い感銘からです
ザビエルのおかげで豊後に西洋文化が日本で最初に花開いたのでした
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ザビエル像です
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ザビエルはポルトガルの宣教師で元来インドで布教するためインドに最初に渡りましたが
インドの知的レベルが低くインドを捨て日本にやってきたのです
最初鹿児島に上陸し平戸→山口→京都→山口と布教しましたが 成功したのは豊後だけだったのです
ザビエルはその後ポルトガルに戻りますが その後ガーゴ神父などのおかげで豊後は日本における
キリスト教布教の最大拠点になったのです

ザビエル像の前のパノラマ
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大友宗麟が寄進した土地に1553年デウス堂が建てられました
デウス堂があった場所は今は割烹さとうの敷地となっています
たぶんほとんどの市民が知らないでしょう 私も始めて知りました 辻野先生は本当によく調べています
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このブログの管理人の私は子供の頃9歳までは大分市に住んでいました
幼稚園はカトリック教会の幼稚園に通いました クリスマスなど盛大なお祭りでした 丸の中が私
幼稚園の頃 当時ポルトガルから送って来た「ザビエルの手の部分のミイラ」を見た事を覚えています
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伊東マンショは大友宗麟の名代として選ばれ少年使節団としてローマに渡り向こうで大歓迎を受けました
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1557年わが国最初の西洋式病院をポルトガル人のアルメイダが建てました
当時手術は外で行われたそうです バテレンは日本人の生血を吸うという噂を打ち消すためです
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当時貧しい生活から間引きが普通に行われていましたが 孤児院を建てたり
乳牛の乳による育児など「赤ちゃんポストの始まりは大分から」でした
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遊歩公園内には数多くの彫刻があります
みどりのかげ(朝倉文夫から大分県に寄贈されたもの)   健ちゃん像(北村西望による少年像) 023327.jpg   023328.jpg

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大分県が生んだ作曲家滝廉太郎の銅像です
数年前見たときよりすべての銅像がピカピカ光って見えます
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この銅像は 同じ学校の同窓であった彫刻家「朝倉文夫」氏の作品です
朝倉文夫氏は明治から昭和の日本を代表する彫刻家です「東洋のロダン」とも称されました
この滝廉太郎と朝倉文夫が同じ小学校の生徒だったことは今回初めてしりました
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今回この古いはずの滝廉太郎像がピカピカになっているのに気づきました
彫刻をきれいにする運動があったんですね これも初めて知りました
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その他大分では日本最初の西洋劇も演じられました
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これら大分市の彫刻の多くは大分市長であった上田保氏が市長を辞めて大分マリーンパレス
の社長になられてその益金からこれらの彫刻を建てたものです
今度は近くの万寿寺へ行きます
万寿寺には大友家代々の墓があるそうです そもそも大友家の先祖は相模の国の豪族だったそうです
源頼朝のご落胤だった大友能直が1196年豊後守護に任命されましたが能直自身は豊後に下向せず
3代の大友頼泰が下向し大友氏が豊後に定着したそうです
大友宗麟は大友家21代の当主で九州は九つの国があったので九州なのですが
九州九カ国中の6カ国の守護として君臨していました ですから 当時の世界地図を見ると
九州全体を指してBUNGOという呼び名ですし あの有名なガリバー旅行記の中で
出てくる日本にはBUNGOという地名があります 京都や大阪も載っていませんが
九州をBUNGOという国としてヨーロッパでは日本の中では一番知られた地名になっていたのです
万寿寺
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万寿寺の山門
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万寿寺は禅宗の寺です 今日は座禅が行われているとの事で遠慮して中に入りませんでした
私は子供の頃から体がひ弱でしたので 夏休み期間中万寿寺の別院が高崎山にあり林間学校に
10日間くらい通ったことがあります 別院の本堂で昼寝したり 座禅を組んだりしました
今でも このとき3時のおやつに食べたマクワウリの美味しかった事を忘れません
当時 この万寿寺境内では上田保大分市長が自らホラ貝を吹いて猿を山から呼んでは
芋を与えていたことも見ています その1年後くらい上田市長の努力が実り 高崎山はお猿の高崎山として
全国で評判の野生の猿を見られる観光地になりました 丸印は荷揚小3年の私(可愛いですね)
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次に向かったのは上野の丘です
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大友館があった場所です
石碑を見ると大分市長高山英明書となっています
戦国時代のキリシタン大名で高山右近がいました 秀吉のバテレン追放令により 高山右近はフィリッピンへ
逃亡し向こうで亡くなりますが この大分市長の高山英明氏は高山家直系の子孫だということです
これらも今回初めてしりました
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これから大友宗麟の城臼杵城へバスで向かいます
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ここはもともと島でした 今はすっかり埋められて陸続きになっていますが
当時は周りがすべて海の守りが堅い城でした
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大友宗麟のレリーフ
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戦時中は物資が乏しく鍋釜や寺の梵鐘以外にこんな芸術品まで供出させられたんですね
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集合写真
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上のレリーフも大友宗麟の彫刻も臼杵市出身の彫刻家日名子実三氏の作品です
臼杵公園内の日名子実三氏の作品「廃墟の像」
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大友宗麟が取り寄せたポルトガル渡来のわが国最初の大砲「国崩し」のレプリカ
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本物は現在靖国神社境内に置かれているそうです
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臼杵市内の商店街を散策します
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臼杵観光協会の中にも国崩のレプリカを展示しています
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当時の世界地図の九州です 九州全体が豊後の国となっています
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ポルトガルから大友宗麟に献上されたかぼちゃ
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二王座歴史の街を散策
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臼杵二王座歴史の道パノラマ
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臼杵市は古くから味噌醤油の醸造がさかんな町です
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創業400年以上の歴史があります
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味噌ソフトなどもあります
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久家大蔵のタイル画
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ポルトガルのタイル壁画パノラマ
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臼杵の名物臼杵せんべい
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食事場所の小手川商店
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1階はお店です ここで土産に味噌ようかんを買いました 2階で食事できるようです
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2階で昼食をいただきます
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黄色いご飯は黄飯といいます
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臼杵に伝わる伝統料理です
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昼食後野上弥生子文学記念館にも入りましたが すべて撮影禁止なのでここでの写真はありません

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野上弥生子の生家は小手川酒造さんです
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小手川酒造さんなのに中に水田酒造の看板があるので聞いてみました
大林宣彦監督が2002年公開した映画「なごり雪」のロケでここが使われたのですが
作品の中では「水田酒造」だったからです
なごり雪は隣町津久見市出身の伊勢正三氏が作詞作曲した「なごり雪」の歌をモチーフにした映画です

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伊勢正三作詞作曲のなごり雪の歌詞のポスター 津久見で撮影
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小手川酒造の前でのパノラマ
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フンドーキン醤油工場パノラマ
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臼杵を離れて津久見市へ向かいます
途中の車窓から津久見の石灰岩の山が見えます 津久見市は石灰岩埋蔵量が日本一です
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以前撮影していた 露天掘りの石灰岩パノラマ
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大友宗麟の墓地は津久見市にあります
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大友宗麟の葬儀はキリスト教式で荘厳に行われたそうです またキリスト教式の墓も建てられました
ところが大友宗麟が死ぬとすぐ秀吉はバテレン追放令を発布したため 宗麟の息子の大友義統はすぐに棄教し
大友義統はキリスト教式の墓を壊し仏式の墓を建てました
ところがそれも古くなり旧家臣のが いまここにある仏式の墓を建て直しました
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マリーンパレスの社長だった上田保氏は宗麟はキリスト教徒として死んだのだからキリスト教徒としての
墓を作るべきと考え したの洋式の墓を大分出身の世界的建築家磯崎新氏に設計し建てたのが
下の写真の墓です
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二つの墓は並んで墓地公園にあります

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胸像のある風景
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胸像もあります
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墓地公園を後にし 津久見市の物産を販売する店へ立ち寄ります
津久見市はマグロの町でも有名です 保戸島はかってマグロ漁の漁業基地でした
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以前撮影した保戸島漁港パノラマ
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その後 私だけ津久見から佐伯までJRで帰ることにし津久見駅でバスから降り皆さんとお別れです
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津久見の駅前にも立派な宗麟の銅像が建っています
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津久見駅前パノラマ
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津久見駅から
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津久見市はミカンの町でもあります
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雨に降られず良い日帰りツアーでした
私は以前からもっともっと大分県の良さをパノラマ写真で伝えようと思って
パノラマ風景写真で観光する大分県を立ち上げています
今回このたった一日のツアーを真剣に
ブログに投稿したのは 自分のホームページをぜひもっとみてもらいたいからです
皆様の応援をよろしくお願い申し上げます 最後までご覧いただき感謝いたします
ほとんど場所は私が行った事がある場所ですが大分市のデウス堂跡は今回初めて場所を知りました
香川県出身の辻野先生がこれほど大分県のことを勉強なさっている博識ぶりに改めて驚きました




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