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海舟・龍馬の泊った寺

大分市佐賀関の徳応寺に行ってみました

1864年(文久4年)馬関海峡への報復攻撃を構える米・英・仏・蘭の4カ国連合艦隊の終結地である長崎へと
勝海舟は幕府から連合艦隊と交渉するよう命じられ坂本龍馬を伴って江戸から長崎へ向かいました
2月14日神戸の港を蒸気船長崎丸で瀬戸内海を通り翌15日佐賀関に上陸し 佐賀関の徳応寺に一行は宿泊したのです
この記録が徳応寺にあるのです また勝海舟の書いた海舟日記にも書かれています

この徳応寺の前です
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徳応寺へはこの石段を上がります
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徳応寺本堂です
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本堂の一角に龍馬コーナーが設けられていました
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船で直接長崎へ向かわなかったのは 熊本に蟄居している横井小楠を龍馬に訪問させようという
海舟の考えがあったそうで 往路と復路で龍馬は横井小楠に会っています
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鶴崎では海舟は「大御代はゆたかなりけり旅枕一夜の夢を千代の鶴さき」という歌を残しています
野津原では 「民のかまどゆたけきものをしらぬいの つくし生てう野津原のさと」と歌っております
鶴崎は当時肥後藩の飛び地でした 鶴崎から熊本までの街道は肥後海道として肥後藩の参勤交代の道でした
大分ではこの街道を肥後海道と呼びますが熊本では豊後街道と呼ぶのだそうです
 

海舟日記のそのページ
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下は徳応寺の当時の住職東光龍潭(りゅうたん)の書いた人物誌から
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住職の龍潭が勝海舟に聞いて書き残した止宿記録から
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龍潭は蒸気船長崎丸のスケッチも残していました
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龍潭がスケッチした佐賀関の高島前を通って下関攻撃に向かう米・英・仏・蘭の4カ国連合艦隊の図
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坂本龍馬コーナーの資料・パンフレット
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昨年23年10月1日 田上長崎市長と武田鉄矢氏大分市へ訪れてくれました
武田鉄矢氏は熱烈な龍馬ファンであり現在長崎市の亀山社中記念館の名誉館長でもあります
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翌日の10月2日徳応寺を訪れていますが
この長崎から大分市への交流のきっかけは鶴崎の郷土史家の北川氏と私(パノラマン)が2009年の
5月に長崎の 坂本龍馬銅像建立20周年で長崎を訪れた事が始まりです

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大分学研究会会長の辻野先生の写真もありました
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辻野先生は 勝海舟と坂本龍馬の銅像を建てる会の会長でもあります
勝海舟と坂本龍馬の銅像と歌碑を建てようと言い出したのは 鶴崎にお住まいの 郷土史家
北川氏です 北川氏は郷土の事をいろいろ調べていてこの徳応寺の記録を見つけ出したのです
北川氏のHP 鶴崎歴史散歩をご覧ください。
北川氏が作詞した 「海舟・龍馬豊後路をゆく」





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